テニスの歴史

プレイスタイルの変化

ラケットなどの進化とあいまって、プレイスタイルにも時代と共に変化が見られています。中でも「サービス」の変化は、テニスの歴史を大きく反映しています。

レシーバーが攻撃側:「球出し」だったサーブ

ウィンブルドン大会が始まる前のテニスは、サーブはアンダーハンドから打たれていました。サーバーがアンダーハンドから高く打ち上げたボールが落ちてきたところをレシーバーが打つ、というのが中世のテニスのスタイルです。したがって、サーブは「攻撃」というよりはむしろ「球出し」で、レシーバーに対する「奉仕」でした。このようなスタイルのため、かつてのテニスは、落ちてきたボールを打ち返すレシーバーの方が攻撃側でした。

ウィンブルドン大会からプレイスタイルは様変わり

「攻撃」としてのサーブが現れてくるのは、ウィンブルドン大会が開催されるようになってから後でした。
それまでのテニスは、聖職者や貴族の娯楽のひとつとして行われていました。上流階級の社交のための球戯なので、あからさまな攻撃は控えられていました。しかし、ウィンブルドン大会は賞金がかけられた「競技」としてのテニスの試合でしたので、勝つためのあらゆる技術をみがく必要があります。そして、勝つための技術として最も注目を集めたのがサーブの技術でした。
ウィンブルドン大会が開催される以前、および開催されてからしばらくの間は、サーブはアンダーハンドから打たれていました。第二回の大会からオーバーハンドで打つサーブも現れましたが、サーブの速度を上げる技術はまだ現れず、バウンドに変化を付けるためのスピンの技術に工夫が凝らされていました。絶大な攻撃力を持つ高速のサーブを武器とするレンショウ兄弟が活躍するのは1881年開催の第五回以降からです。

ルールの変化もプレイスタイルを変える

イギリスの退役軍人、ウィングフィールドが考案したテニスのルールでは、サーブはコートの中央から打つことが決められていました。このときのコートはサービスサイドとレシーブサイドが固定されていて、サービスサイドのコートの中央にひし形のマークがありました。サーバーはひし形のマークの中に立ち、アンダーハンドでサーブをしたのです。
1875年、イギリスの名門スポーツクラブ「マリルボーン・クリケット・クラブ」から、「ベースラインをまたいでサーブを打つ」というルールが提案され、次第に多くのスポーツクラブで採用されるようになります。1877年から開催された、テニスのウィンブルドン大会もこのルールを採用しました。
1885年には、「ベースラインを踏んでサーブを打つ」というルールが採用されます。サーブを打つときに片足を地面から離していても良いという条項も加えられました。1902年には、サーブはコートの外でしなければならなくなり、1960年には両足を地面から離すことも認められました。サーブを打つときの位置や姿勢についての制限が少なくなってきたことによって、ジャンピングサーブを打つことも可能になりました。このようにして、ルールの変化とあいまって、サーバー有利の「スピードテニス」というスタイルが確立してきたのです。