エムズテニス便り

2008年07月17日第42話 2008年7月17日(木)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。

今回も日本テニス界を支えてきた名選手をご紹介します。今回は女子選手3名です。
<沢松和子>
沢松和子(さわまつかずこ)選手は1951年1月5日生まれ。1975年のウィンブルドン選手権の女子ダブルス部門で日系人選手のアン清村選手とペアを組 んで優勝し、日本人女子テニス選手として史上初の4大大会タイトルを獲得した名選手です。姉の沢松順子さんもテニス選手で、沢松奈生子プロは順子さんの娘 です。沢松選手は1967年、16歳の時に第42回全日本テニス選手権と全日本室内テニス選手権で優勝し、同年にジュニアテニス選手の登竜門である「オレ ンジボウル選手権」の女子シングルスでも優勝を果たします。それ以後、1967年から1975年までの8年間で、沢松選手は日本国内の試合で「192連 勝」の記録を樹立します。18歳になった1969年には全仏オープンとウィンブルドンの女子ジュニア部門で優勝し、4大大会のジュニア2大会連続優勝を飾 りました。その後、女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手を務めます。
<井上悦子>
井上悦子(いのうええつこ)選手は1964年10月18日生まれ。1980年にインターハイの女子シングルス部門で優勝します。1981年には高校を2年 で中退し、プロテニス選手に転向しました。1985年に全日本テニス選手権の女子シングルスで初優勝を飾り、以後大会3連覇を達成。1982年から 1989年まで、女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手を務めます。シングルス自己最高ランキングは26位 (1988年3月14日付)であり、それは1992年2月に後輩の伊達公子に抜かれるまで日本人女子テニス選手の最高順位でした。
<雉子牟田明子>
雉子牟田明子(きじむたあきこ)選手は1968年5月1日生まれ。日本では比較的珍しい早熟選手で、中学3年生だった1983年に全日本テニス選手権の女 子シングルスで「15歳4ヶ月」の史上最年少優勝記録を樹立します。翌1984年にプロ入りし、当時の日本女子テニスの先駆者であった井上悦子の後を追い ながら世界挑戦を始めます。1984年のロサンゼルス五輪の「公開競技」にも16歳で出場しました。これはテニスがオリンピック種目として正式に復活する 前、「21歳以下」の選手を対象に行われた試合でしたが、この時の女子シングルス優勝者は当時15歳のシュテフィ・グラフ(旧西ドイツ)でした。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・7月20日(日)より第54期スクールの優先継続週です。
・夏季合宿及び強化練習を募集中です。詳細はホームページをご覧下さい。

 

2008年07月12日第41話 2008年7月12日(土)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。

今回は日本テニス界を支えてきた名選手について書きたいと思います。鈴木貴男プロ、杉山愛プロ、錦織圭プロ、そして復帰した伊達公子プロなどのよう に現在活躍しているプロと同様に、日本テニス界には過去、数々の名選手がいました。その中から男女各3名の選手を2週にわたってご紹介します。
<熊谷一弥>
熊谷一弥(くまがいいちや)選手は1890年9月10日生まれ。日本テニス界の黎明期を築き、日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した名選手のひとり です。1918年(大正7年)に全米選手権において、日本人テニス選手として史上初のベスト4進出を果たしました。さらに1920年(大正9年)のアント ワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、日本スポーツ界に初めてのオリンピック・メダルをもたらした選手としてよく知られていま す。
<清水善造>
清水善造(しみずぜんぞう)選手は1891年3月25日生まれ。1920年(大正9年)6月のウィンブルドン選手権で、清水選手は「チャレンジ・ラウン ド」(前年優勝者への挑戦権決定戦)の決勝まで勝ち進みました。当時はテニストーナメントの方式も現在とは大きく異なり、前年優勝者は無条件で決勝に行 き、そこで1回戦から勝ち上がる選手(チャレンジ・ラウンドの優勝者)と決勝戦を戦う「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式を採用していました。そのチャレンジ・ラウンド決勝戦で、清水は当時の世界ナンバーワン選手、ビル・チルデン(アメリカ)に 4-6, 4-6, 11-13 の激戦で敗れましたが、この大活躍は日本でも大きく紹介されています。海外での清水選手は、その礼儀正しさから「ミスター・シミー」、にこやかな笑顔から 「スマイリー・シミー」という愛称で呼ばれていたようです。
<三木龍喜>
三木龍喜(みきたつよし)選手は1904年2月11日生まれ。1934年のウィンブルドン選手権の混合ダブルス部門で、ドロシー・ラウンド(イギリス)選 手とペアを組んで優勝し、日本人テニス選手として最初の4大大会優勝者になった選手です。三木選手は1924年から1926年にかけて全日本テニス選手権 の男子シングルスで3年連続の準優勝に終わったこともあり、選手層の厚かった当時の日本男子テニス界ではあまり目立つ存在ではなかったようですが、この優 勝で一躍有名になりました。

次回は女子の名選手をご紹介します。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・6月29日(日)より第53期スクールがスタートしました。
・夏季合宿及び強化練習を募集中です。詳細はホームページをご覧下さい。