エムズテニス便り

2008年07月12日第41話 2008年7月12日(土)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。

今回は日本テニス界を支えてきた名選手について書きたいと思います。鈴木貴男プロ、杉山愛プロ、錦織圭プロ、そして復帰した伊達公子プロなどのよう に現在活躍しているプロと同様に、日本テニス界には過去、数々の名選手がいました。その中から男女各3名の選手を2週にわたってご紹介します。
<熊谷一弥>
熊谷一弥(くまがいいちや)選手は1890年9月10日生まれ。日本テニス界の黎明期を築き、日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した名選手のひとり です。1918年(大正7年)に全米選手権において、日本人テニス選手として史上初のベスト4進出を果たしました。さらに1920年(大正9年)のアント ワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、日本スポーツ界に初めてのオリンピック・メダルをもたらした選手としてよく知られていま す。
<清水善造>
清水善造(しみずぜんぞう)選手は1891年3月25日生まれ。1920年(大正9年)6月のウィンブルドン選手権で、清水選手は「チャレンジ・ラウン ド」(前年優勝者への挑戦権決定戦)の決勝まで勝ち進みました。当時はテニストーナメントの方式も現在とは大きく異なり、前年優勝者は無条件で決勝に行 き、そこで1回戦から勝ち上がる選手(チャレンジ・ラウンドの優勝者)と決勝戦を戦う「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式を採用していました。そのチャレンジ・ラウンド決勝戦で、清水は当時の世界ナンバーワン選手、ビル・チルデン(アメリカ)に 4-6, 4-6, 11-13 の激戦で敗れましたが、この大活躍は日本でも大きく紹介されています。海外での清水選手は、その礼儀正しさから「ミスター・シミー」、にこやかな笑顔から 「スマイリー・シミー」という愛称で呼ばれていたようです。
<三木龍喜>
三木龍喜(みきたつよし)選手は1904年2月11日生まれ。1934年のウィンブルドン選手権の混合ダブルス部門で、ドロシー・ラウンド(イギリス)選 手とペアを組んで優勝し、日本人テニス選手として最初の4大大会優勝者になった選手です。三木選手は1924年から1926年にかけて全日本テニス選手権 の男子シングルスで3年連続の準優勝に終わったこともあり、選手層の厚かった当時の日本男子テニス界ではあまり目立つ存在ではなかったようですが、この優 勝で一躍有名になりました。

次回は女子の名選手をご紹介します。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
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