エムズテニス便り

2008年01月29日第19話 2008年1月29日(火)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
第19話の今回はテニスの4大国際大会について書きたいと思います。

全豪オープン(Australian open)
全豪オープンは毎年1月後半にオーストラリアのメルボルンで開催されています。会場のメルボルン・パークには、屋外・屋内あわせて26のコートがあり (クーヨン以前はグラスコート)、センターコートは「ロッド・レーバー・アリーナ」、その脇にある1番コートは「マーガレット・コート・アリーナ」と、 1969年のオープン化第1回大会の男女シングルスを制した偉大なオーストラリア人選手の名が冠せられています。2000年にはサブアリーナ「ボーダフォ ン・アリーナ」が完成しました。ロッド・レーバー・アリーナとボーダフォン・アリーナは開閉式の屋根付きスタジアムで、これは4大大会でここだけです。全 豪オープンは「エクストリーム・ヒート・ポリシー」(EHP, Extreme Heat Policy)が導入されている大会で、コートの外の気温が35度以上、湿球黒球温度が28度を上回った際に、主審が試合開始時間を遅らせることができる ようになっていて、屋根つきの「ボーダフォン・アリーナ」と「ロッド・レーバー・アリーナ」に関しては、屋根を閉めてプレーされることになります。

全仏オープン(French Open)
全仏オープンはフランスの首都パリの名所「ブローニュの森」の隣にあるローラン・ギャロス・スタジアム(Stade Roland Garros)にて、5月末から6月初めにかけて開催されています。飛行家ローラン・ギャロス(1888年 – 1918年)の功績を称えて、会場には彼の名前が冠されていて、このため本大会は「ローラン・ギャロス・トーナメント」(Le Tournoi de Roland Garros)と呼ばれることもあります。全仏オープンは4大大会で唯一、クレー(赤土=レンガの粉)コートを利用することでも知られており、他の大会と は違った展開が楽しめる大会です。毎年の大会は展開が波乱に富み、上位シード選手の早期敗退が多いことから「赤土には気まぐれな神が棲んでいる」と評され ることも多いです。特にピート・サンプラスは男子歴代1位の「14度」4大大会を制しながらも、全仏オープンは最後まで制覇できませんでした。最近の男子 シングルス優勝者には、“クレーコート・スペシャリスト”たちが大半を占める傾向が強くなっていて、グランドスラムを目指す最大の障壁となっています。

ウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon)
ウィンブルドン選手権とは「全英ローンテニス選手権大会」の別名です。毎年6月最終(もしくはその前週の)月曜日から2週間の日程で行われて、開催地の ウィンブルドン(イギリス・ロンドン南西部)にちなみこの名があります。オープン大会であるため、日本語では「全英オープン」と呼ばれる場合もあります が、正式名は「The Championships」(単に「選手権」)であり、名称上は誤りです。会場は、この大会のためにしか使われない「センターコート」を持つ「オールイ ングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」で行われ、グランドスラム4大会中最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるこの大会 は、120年以上の伝統と格式を持ち、「白いウェア」が義務づけられています。練習の際も白を基調としたウェアとシューズを義務づけられていて、これは会 場ともなっているクラブの規定によるものです。この大会では第1週と第2週の中間日となる日曜日(ミドル・サンデー)を休養日にする大会運営の伝統があり ました。しかし大会開催期間中は雨天で試合が中断・中止となるケースも多いので、1991年に日程消化の問題でこの伝統が初めて破られ、ミドル・サンデー に試合が開催ました。その後1997年、2004年にもミドル・サンデーに試合が行われています。そこで最近ではセンターコートと第1番コート(センター コートに隣接)に屋根を架設し、雨天中断をできるだけ抑制しようという動きもあります。また開催時期を雨天の影響が少ないとされる7月第1週〜第2週にず らすことも検討されています。また、2002年には1番コートの近くに、バックスクリーンで試合を観戦できる新スポットが設置され、当地の英雄ティム・ヘ ンマンにちなんで“ヘンマン・ヒル”という通称がつけられました。

全米オープン(U.S.Open Championships)
全米オープンは、アメリカ・ニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウで毎年8月の最終月曜日から2週間の日程で行われ、観客動員数、賞金総額等において 世界最大のテニストーナメントです。会場はUSTAナショナルテニスセンターで、主催は全米テニス協会です。1881年に「全米シングルス選手権」と「全 米男子ダブルス選手権」の第1回大会が開催され、全米シングルス選手権(男子シングルス)の初代優勝者はリチャード・シアーズ(1861年 – 1943年)でした。シアーズは1887年まで大会7連覇を達成しています。女子シングルスはそれから6年後、1887年に第1回大会が行われ、エレン・ ハンセル(1869年 – 1937年)が初代優勝者となりました。ダブルスについては、男子ダブルスは創設年と同じ1881年から「全米男子ダブルス選手権」が始まり、女子ダブル スは1889年、混合ダブルスは1892年から競技が開始されました。最初期の全米選手権は、5部門がそれぞれ違う会場で行われていて、やがて男女シング ルスの会場はニューヨーク・クイーンズ区の「フォレストヒルズ」(Forest Hills)に移転し、やがて「フォレストヒルズ」は全米選手権やデビスカップ決勝戦を指す代名詞のような言葉として、テニス選手たちの目標となりまし た。1968年からテニス界の「オープン化措置」(プロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置)が実施されて、現在のような「全米オープン」となり、こ の時から、男女シングルス・男女/混合ダブルスの5部門がすべて1ヶ所の会場(フォレストヒルズ)で行われるようになったのです。1970年代後半に、全 米オープンの会場は「フォレストヒルズ(サーフェースは芝、後年はクレー)」からニューヨーク・クイーンズ区のフラッシング・メドウへ移転し、コート・ サーフェスもクレーからハードコートに変更されました(グランドスラム・トーナメントで2度もサーフェスが変わったのは、この全米オープンだけです)。 1997年にUSTAナショナルテニスセンターに、新しく「アーサー・アッシュ・スタジアム」が建設され、2万5千人以上を収容できる世界最大のテニス・ コートが完成しました。1996年までセンター・コートとして用いられたコートには「ルイ・アームストロング・スタジアム」の名前が与えられています。

テニスにおけるグランドスラムとは4大国際大会である全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンを1年のうちにすべて制覇すること をいい、一般的には「年間グランドスラム」と呼ばれています。また、4大大会の全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンがそれぞれ「グ ランドスラム(またはグランドスラム大会)」と呼ばれることもあります。テニスにおいて年間グランドスラムを最初に達成した選手は、1938年のドン・ バッジ(アメリカ、1915年 – 2000年)です。これはゴルフにおいてボビー・ジョーンズ(1902年 – 1971年)が1930年に達成した自らの偉業を「グランドスラム」と命名してから8年後のことでした。女子で最初の年間グランドスラムを達成した選手 は、1953年のモーリーン・コノリー(アメリカ、1934年 – 1969年)です。男子シングルスのロッド・レーバーは、男女を通じて「2度」年間グランドスラムを達成したただ1人の選手でした。女子シングルスのシュ テフィ・グラフは、1988年のソウル五輪金メダルも獲得したことから「ゴールデン・スラム」(Golden Slam)という新語が造られ、ゴールデン・スラムが成立するためには、年間グランドスラムをオリンピアード(オリンピック開催年)に達成し、同時に五輪 の金メダルを獲得しなければならないのです。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・2月8日(金)より第51期のコース変更手続きと新規入会の受付を開始いたします。

 

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