エムズテニス便り

2008年02月12日第21話 2008年2月12日(火)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
昨日2月11日は建国記念の日でした。みなさんご存知だと思いますが建国記念の日とは日本の国民の祝日の一つで、国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条 では趣旨を「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定しています。1966年(昭和41年)佐藤栄作内閣の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌 1967年(昭和42年)2月11日から適用されました。2月11日はかつての紀元節(日本書記が伝える神武天皇の即位日)で、記紀(古事記と日本書紀の 総称)によると紀元前660年に神武天皇が即位したとされています。

第21話の今回は突然ですが靴の正しい履き方について書きたいと思います。これは特にジュニア選手に対して気になっていたことですが、靴の履き方が 間違っているために自分の本当のサイズより大きいサイズの靴を買っている場合があります。靴の履き方の基本は、靴を履きこんだらつま先を上げて脚の重さで 踵をヒールカップに密着させます(この行為を行っていないジュニア選手が多いです。しゃがんだ状態で紐を締めると前方に体重がかかりますから安定しない状 態になりますし、つま先が靴先に当たりますから、大きめのサイズを購入することになります)。マジックテープやベルトは十分に土踏まずをホールドするまで 引っ張って固定します。 紐の靴は下のハトメから順番に絞めていきます。 このとき、紐は必ず横に引っ張ります。 上に向かって引くと、ハトメの周りに巻き付き抵抗が発生して締まらなくなります。 足の甲と足首の境のハトメ(ローカットの靴では最後のハトメ)は、弛みをとるていどに絞めます。これが基本的な靴の履き方です。また靴を脱ぐ動作も寿命に 大きく係わってきます。正しい脱ぎ方は考えれば単純なことですが、紐を充分に緩めて脱ぐということです。充分に紐を緩めないで靴を脱ぐことはヒールカップ などを傷めますから靴の寿命は短くなるのです。統計では正しく靴を脱ぎ履きした場合は寿命が3倍になるとも言われています。

テニスはラケット・ボールが主役と考えている方も多いと思いますが、テ(手)ニスがアシ(足)ニスと言われるくらい足の動きはテニスにとって非常に 重要です。その足がコートと接触しているのが靴であり、正しい靴選びはマメができることを予防したり、外反母趾の予防などにもつながることですから、皆さ んも正しい靴の履き方で、もう一度サイズを決めてみてはいかがですか?

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・第51期新規入会者を募集しています。無料モニターも合わせて募集していますので、詳細についてはホームページのナスパテニススクールトップページから詳細をご確認下さい。

 

2008年02月05日第20話 2008年2月5日(火)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
第20話の今回はラケットの歴史について書きたいと思います。テニスの歴史をさかのぼるとプレーヤーがラケットを作っていた時代がありました。15世紀の 終わり頃のフランスでは、試験に受かるとテニスのプロとして認定されましたが、試合で二人のプロを破ること、自分でラケットが作れること(ガットが張られ ているものではなく板のようなものでした)が合格条件に含まれていました。ガットが張られたものをラケットとして使用するようになったのは、16世紀の中 盤で、これが現在のテニスラケットの原点と考えられています。その後さまざまな形のラケットが考案・開発され、20世紀初頭に現代のラケットに近い型のも のが定着するようになりました。

それでは簡単に歴史を振り返っていきましょう。テニスラケットは1960年代までは木製でフェイス面積が68平方インチのレギュラーサイズと決まっ ていました。その後、1967年にスチール製、1968年にアルミ製の金属ラケットが現れます。1974年には複合材のラケットが登場しました。1976 年には「デカラケ」と言われる110平方インチ、1987年には「厚ラケ」、1995年には「長ラケ」と言われるものが登場しています。

「デカラケ」とは打球面が広いラケットのことです。最近のラケットの打球面サイズは95〜115平方インチが主流ですが、過去には130平方インチ や超大型サイズの137平方インチが登場し話題になったことがあります。「厚ラケ」はフレーム剛性を高めたラケットのことです。当初は従来のラケットの4 倍近くまで剛性を高めたラケットが主流でしたが、最近では剛性をやや落とした軽量のラケットが主流となっています。「長ラケ」は従来のラケット全長27イ ンチ(約685mm)を長くしたラケットで、上記の137平方インチのラケットは32インチ(812mm)もありました。その後、国際テニス連盟がプロの 試合では1997年1月から、一般の試合では2000年1月から全長が29インチ以上のラケットの使用を禁止しています。

それではラケットの質量(ストリングを張った状態の重さ)はどう変化してきたのでしょう。木製の時代は370g〜400g、複合材ラケットの初期は 360g〜375g、その後さらに軽量化が進み300gを切るラケットが現れ、最近の最も軽いラケットは220gに達しています。軽量化は限界に達した感 があり、最近のラケットの特長は軽量化より打球感の改善となってきました。

一般にプレーヤーがラケットに求める性能はパワー・コントロール・打球感ですが、これらの他に「球離れがいい」「ホールド感がある」「安定性がい い」など、微妙な性能の違いを評価する表現があります。また、テニス肘をはじめとする障害とラケットについてスポーツ工学的には未解明の部分があります が、多くのプレーヤーはテニス肘になりやすいラケットを経験的に認めています。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・2月8日(金)より第51期のコース変更手続きと新規入会の受付を開始いたします。

 

2008年01月29日第19話 2008年1月29日(火)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
第19話の今回はテニスの4大国際大会について書きたいと思います。

全豪オープン(Australian open)
全豪オープンは毎年1月後半にオーストラリアのメルボルンで開催されています。会場のメルボルン・パークには、屋外・屋内あわせて26のコートがあり (クーヨン以前はグラスコート)、センターコートは「ロッド・レーバー・アリーナ」、その脇にある1番コートは「マーガレット・コート・アリーナ」と、 1969年のオープン化第1回大会の男女シングルスを制した偉大なオーストラリア人選手の名が冠せられています。2000年にはサブアリーナ「ボーダフォ ン・アリーナ」が完成しました。ロッド・レーバー・アリーナとボーダフォン・アリーナは開閉式の屋根付きスタジアムで、これは4大大会でここだけです。全 豪オープンは「エクストリーム・ヒート・ポリシー」(EHP, Extreme Heat Policy)が導入されている大会で、コートの外の気温が35度以上、湿球黒球温度が28度を上回った際に、主審が試合開始時間を遅らせることができる ようになっていて、屋根つきの「ボーダフォン・アリーナ」と「ロッド・レーバー・アリーナ」に関しては、屋根を閉めてプレーされることになります。

全仏オープン(French Open)
全仏オープンはフランスの首都パリの名所「ブローニュの森」の隣にあるローラン・ギャロス・スタジアム(Stade Roland Garros)にて、5月末から6月初めにかけて開催されています。飛行家ローラン・ギャロス(1888年 – 1918年)の功績を称えて、会場には彼の名前が冠されていて、このため本大会は「ローラン・ギャロス・トーナメント」(Le Tournoi de Roland Garros)と呼ばれることもあります。全仏オープンは4大大会で唯一、クレー(赤土=レンガの粉)コートを利用することでも知られており、他の大会と は違った展開が楽しめる大会です。毎年の大会は展開が波乱に富み、上位シード選手の早期敗退が多いことから「赤土には気まぐれな神が棲んでいる」と評され ることも多いです。特にピート・サンプラスは男子歴代1位の「14度」4大大会を制しながらも、全仏オープンは最後まで制覇できませんでした。最近の男子 シングルス優勝者には、“クレーコート・スペシャリスト”たちが大半を占める傾向が強くなっていて、グランドスラムを目指す最大の障壁となっています。

ウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon)
ウィンブルドン選手権とは「全英ローンテニス選手権大会」の別名です。毎年6月最終(もしくはその前週の)月曜日から2週間の日程で行われて、開催地の ウィンブルドン(イギリス・ロンドン南西部)にちなみこの名があります。オープン大会であるため、日本語では「全英オープン」と呼ばれる場合もあります が、正式名は「The Championships」(単に「選手権」)であり、名称上は誤りです。会場は、この大会のためにしか使われない「センターコート」を持つ「オールイ ングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」で行われ、グランドスラム4大会中最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるこの大会 は、120年以上の伝統と格式を持ち、「白いウェア」が義務づけられています。練習の際も白を基調としたウェアとシューズを義務づけられていて、これは会 場ともなっているクラブの規定によるものです。この大会では第1週と第2週の中間日となる日曜日(ミドル・サンデー)を休養日にする大会運営の伝統があり ました。しかし大会開催期間中は雨天で試合が中断・中止となるケースも多いので、1991年に日程消化の問題でこの伝統が初めて破られ、ミドル・サンデー に試合が開催ました。その後1997年、2004年にもミドル・サンデーに試合が行われています。そこで最近ではセンターコートと第1番コート(センター コートに隣接)に屋根を架設し、雨天中断をできるだけ抑制しようという動きもあります。また開催時期を雨天の影響が少ないとされる7月第1週〜第2週にず らすことも検討されています。また、2002年には1番コートの近くに、バックスクリーンで試合を観戦できる新スポットが設置され、当地の英雄ティム・ヘ ンマンにちなんで“ヘンマン・ヒル”という通称がつけられました。

全米オープン(U.S.Open Championships)
全米オープンは、アメリカ・ニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウで毎年8月の最終月曜日から2週間の日程で行われ、観客動員数、賞金総額等において 世界最大のテニストーナメントです。会場はUSTAナショナルテニスセンターで、主催は全米テニス協会です。1881年に「全米シングルス選手権」と「全 米男子ダブルス選手権」の第1回大会が開催され、全米シングルス選手権(男子シングルス)の初代優勝者はリチャード・シアーズ(1861年 – 1943年)でした。シアーズは1887年まで大会7連覇を達成しています。女子シングルスはそれから6年後、1887年に第1回大会が行われ、エレン・ ハンセル(1869年 – 1937年)が初代優勝者となりました。ダブルスについては、男子ダブルスは創設年と同じ1881年から「全米男子ダブルス選手権」が始まり、女子ダブル スは1889年、混合ダブルスは1892年から競技が開始されました。最初期の全米選手権は、5部門がそれぞれ違う会場で行われていて、やがて男女シング ルスの会場はニューヨーク・クイーンズ区の「フォレストヒルズ」(Forest Hills)に移転し、やがて「フォレストヒルズ」は全米選手権やデビスカップ決勝戦を指す代名詞のような言葉として、テニス選手たちの目標となりまし た。1968年からテニス界の「オープン化措置」(プロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置)が実施されて、現在のような「全米オープン」となり、こ の時から、男女シングルス・男女/混合ダブルスの5部門がすべて1ヶ所の会場(フォレストヒルズ)で行われるようになったのです。1970年代後半に、全 米オープンの会場は「フォレストヒルズ(サーフェースは芝、後年はクレー)」からニューヨーク・クイーンズ区のフラッシング・メドウへ移転し、コート・ サーフェスもクレーからハードコートに変更されました(グランドスラム・トーナメントで2度もサーフェスが変わったのは、この全米オープンだけです)。 1997年にUSTAナショナルテニスセンターに、新しく「アーサー・アッシュ・スタジアム」が建設され、2万5千人以上を収容できる世界最大のテニス・ コートが完成しました。1996年までセンター・コートとして用いられたコートには「ルイ・アームストロング・スタジアム」の名前が与えられています。

テニスにおけるグランドスラムとは4大国際大会である全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンを1年のうちにすべて制覇すること をいい、一般的には「年間グランドスラム」と呼ばれています。また、4大大会の全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンがそれぞれ「グ ランドスラム(またはグランドスラム大会)」と呼ばれることもあります。テニスにおいて年間グランドスラムを最初に達成した選手は、1938年のドン・ バッジ(アメリカ、1915年 – 2000年)です。これはゴルフにおいてボビー・ジョーンズ(1902年 – 1971年)が1930年に達成した自らの偉業を「グランドスラム」と命名してから8年後のことでした。女子で最初の年間グランドスラムを達成した選手 は、1953年のモーリーン・コノリー(アメリカ、1934年 – 1969年)です。男子シングルスのロッド・レーバーは、男女を通じて「2度」年間グランドスラムを達成したただ1人の選手でした。女子シングルスのシュ テフィ・グラフは、1988年のソウル五輪金メダルも獲得したことから「ゴールデン・スラム」(Golden Slam)という新語が造られ、ゴールデン・スラムが成立するためには、年間グランドスラムをオリンピアード(オリンピック開催年)に達成し、同時に五輪 の金メダルを獲得しなければならないのです。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・2月8日(金)より第51期のコース変更手続きと新規入会の受付を開始いたします。

 

2008年01月24日第18話 2008年1月24日(木)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
この前、ふとお金を眺めていて疑問が涌いてきました。毎日使っているお金の値段っていくらなのだろう?そして調べてみたら面白いことがわかったので書きま す。テニスと関係なくてすいません。まず1円硬貨の値段です。重さが1グラムの1円硬貨を作るのに原料となるアルミニウムだけで1枚あたり0.7円、材料 費と製造費、人件費なども含めると、なんと1枚あたり約1.6円〜2円もかかっているそうです。また赤字になるようなことをして!と日本政府にイラっとき ましたがカラクリがありました。紙幣の製造コストが安いらしいのです。紙幣は1000円が14円20銭、5000円が20円20銭、10000円が21円 70銭で製造でき、コストが安いため、硬貨とのバランスがとれているのですね。勉強になりました。

お金の話はこれくらいにして、第18話の今回は1月14日(月)にナスパでおこなわれたコーチャーズカップ2008について書きたいと思います。 コーチャーズカップとは現在在籍しているコーチ及びジュニアと、卒業して現在は社会人となっているコーチ、アカデミーを卒業したジュニアでおこなう試合の ことで、近年は毎年成人式の日に開催しています。

今年の試合に参加したのは総勢34名。コーチやアカデミー生は懐かしいメンバーとの再会を楽しみにし、卒業した者はナスパでの久々のテニスを楽しみに来てくれています。

今大会の優勝は男子ダブルスが洞口コーチ・千葉竜太(ナスパTA)、女子が泉文恵(ナスパTA)・多田愛紗美(ナスパTA)でした。現役コーチと現役ジュニアが予想通り(???)、勝ちました!?

卒業生のみなさん、遠くから参加してくれてありがとうございました。この場をかりて御礼を申し上げるとともに、来年も是非参加して下さいね。


上段左から:洞口厚・大石竜・布台容・河野晴生・高橋祐太郎・中澤祐太
下段左から:才田直人・佐々木詩以良・谷本研・八巻晴香・佐藤彩香・大原瞳

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・1月25日(金)より第51期の優先継続週です。

 

2008年01月19日第17話 2008年1月19日(土)

こんにちは。(有)エムズテニスパークの鈴木です。
第17話の今回は弊社が運営しているナスパ・サンピア・多賀城でも使用されている砂入り人工芝コートについて書きたいと思います。砂入り人工芝コートとは人工芝と自然の砂を組み合わせたコートのことで、日本とオーストラリアにおいて広く普及しているコートですが、その他の地域ではかなり稀なサーフェスです。総合プレー性能と耐久性、施工品質の良さで1990年代に急速に普及し、日本における公営コートの多くで使用されています。人工芝と砂の働きによって、自然なボールバウンドの維持をめざしたコートで、ウエットでもドライでも適度な滑りと弾力性の保持が容易なことと、足腰への負担軽減を図る独自の構造を持っています。さらに自然の緑に近づけたサーフェスには、夏の照り返しをやわらげる効果もあります。特殊調整された砂が雨水の排水を促進することで、水切りの手間が低減できます。さらに雨で中断されたプレーも短時間で再開でき、コートの稼働率向上も実現しています。また透水タイプのコートもあり、雨水を大地に還元しますから、土壌特性のバランス維持が図れます。年間100日も雨の降る日本の気象条件に適した砂入り人工芝コートは、人にも自然にも配慮した高性能コートサーフェスとして、全天候(オールウェザー)テニスコートの分野をリードしているコートです。

さて、砂入り人工芝コート=オムニコートと思っている方が多いと思いますが両者は実はイコールではありません。オムニコートは国内では住友ゴム工業(株)のコートだけを指す呼び名で「オムニコート」は住友ゴム工業(株)の商標です。とはいえ、「オムニコート」という呼び名は、オーストラリアのメーカーが開発したサーフェースの商品名であり、住友ゴム工業命名ではありません。よって「オムニコート」ではない砂入り人工芝コートもたくさんあります。砂入り人工芝コート、サンドフィルコート、スパックサンドなどです。ちなみに、住友ゴムの「オムニコート」に対して、東レの砂入り人工芝コートは「スパックサンド」と言います。

ではなぜ日本とオーストラリアでしか普及していないのでしょうか。その理由はさまざまですが、滑りやすさからケガが多いと考えられていること。日本以外では砂入り人工芝コートで行われる硬式テニスの公式戦がほぼ皆無であることからジュニアの成長の障壁となる可能性があること。使用済みの人工芝は産業廃棄物となり世界の潮流と逆行していることが考えられています。

それでは次回をお楽しみに。

<お知らせ>
・1月25日(金)より第51期の優先継続週です。

 

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